かれこれ5年前。
エリオットが中国を旅しているとき、何やらタダものならぬ雰囲気の一人のドイツ人旅人に出会
ったという。少し話をしてみると、なんでも彼は母国ドイツから中国まで、ママチャリを漕いで
きたらしい。そして各国で道草を食いながら、なんと9年かかって中国に辿り着いたというのだ。

 

その話をエリオットから聞いたとき、世界にはなんてクレイジーな人がいるもんだ!自転車で
そんな長距離を移動できるものなの?しかも9年って、、自由すぎ!と、当時の私はかなりの
衝撃を受けた記憶がある。また、そんなぶっ飛んだ人に旅中会ったら面白だろうなーくらいに、
自分とは切り離して考えていた。

 

しかしあれから5年が経った今、あろうことか、私はそのクレイジーなドイツ人と同じ類いの
ことをしようとしている。。。

 

昔から私を知ってる方はご存知かと思うが、私は大阪郊外育ちのどちらかというと都会っ子で、
20代前半まで大自然でキャンプや登山をしたり、バックパックで旅をすることなんかとはまっ
たく無縁の生活を送っていた。

むしろ、ばりばり仕事をして、化粧とファッションをばっちり決めて街へ繰り出すことが楽しく
って仕方なかった。そして、それに対して疑問を抱くことさえもなかったように思う。
もちろん今でも街へ出かけると楽しいし、自分を着飾ることに興味がなくなったわけじゃない。
だけど、それだけではもう完全に満足できない、疑問を抱かずにはいられない自分がいるのだ。

 

22歳のときロンドンへ移住してから今に至るまでの5年の間で起こった、小さな新しい経験の積
み重ねが、少しずつとてもゆるやかに私の人生観と価値観を変えていき、今となっては自分の中
の様々な優先順位をコロッと逆転させてしまったようだ。

5年前の私だったら、自転車でアフリカを旅するなんて思いつきもしなかっただろう。
たとえ思いついたとしても、「いや、ありえへんな。」とすぐ却下していたはずだ。

とはいえ今の私でも、今回の旅にでると自信を持って宣言するまでにはしばらくの時間がかかった。
なぜなら私もエリオットも自転車に関しての知識はゼロで、サイクリング経験も一切ない。
アフリカも、南アフリカしかよく知らない。とにかく自転車でアフリカを旅をするための何の知識も
情報も持っていなかったため、自転車で旅をするといっても、まったく現実味が沸かなかったのだ。

Wet dog
沸き起こる探究心

 

とりあえず何か情報を得ようと、ネットで「自転車旅」と検索した。すると、予想以上に多くの
自転車旅人のブログやウェブサイトがヒットし、自転車で世界を旅している人たちが意外にも大
勢いることに驚いた。

ただ知らなかっただけで、日本人はもちろん、欧米人なんて本当にたくさんの人が自転車で世界
を駆け回っている。彼らの自転車旅でのストーリーは、美しく過酷で、生命力に溢れていた。
と同時に、旅に向けてやらなければならないことがたくさんあることを教えてくれた。

 

自転車、キャンプ用品などといった物資の準備はもちろん、自転車整備を学ぶこと、病気になった
ときの対処法と備え、安全面を考慮したルートの選定などなど、やることは盛り沢山だった。
準備期間中、「トレーニングはしてるの?」と周りの友人からよく聞かれたが、旅出発予定1ヶ月半
前の今現在、実はまだ一度も自転車には乗っていない。。なぜならまだ自転車が完成していないから!

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
今のチャリの状態

 

南アフリカは、マウンテンバイクがとても盛んで専門店もたくさんあるのだが、長距離ツーリングバ
イクとなると専門に扱っているお店が一軒もない。そのため、自転車整備の勉強も兼ねて、80年代の
レトロなスチールフレーム中古自転車(どんな僻地でも修理できるアナログなもの)を7000円で購入し、
パーツをすべて分解、部品のサビを洗浄し、強度が必要なものは買い直す、といった作業をせっせと
日々進めることになった。独学で自転車の仕組みを学び、旅に適したパーツを選び、それを南アフリ
カで揃えるというのは、予想以上に時間を要する地道な作業だった。

 

しかし、早く自転車に乗りたい欲を抑えながらこの作業を続けることによって、自然と自転車の構造
を理解すると共に、その知識が旅への自信に変わっていくのを感じていた。直径100km圏内誰一人と
していないような荒野で自転車が壊れてしまったとき、頼れるのは自分たちだけなのだ。そう考える
と、自転車は単なるツールではなく、今回の旅の頼れる相棒のように思えた。
まずは相棒をよく知ること。自分たちの身体的なトレーニングはその次だ。

 

また、アフリカで恐れられる様々な感染症や病気については、その実態と対処法を知ることで恐怖心を
半減することができた。マラリアなんか、感染したらもう限りなく死に近いような認識でいたけど、
実際はそうじゃない。回避する方法はいくつもある。予防接種や薬の常備はもちろんだけど、一番大切
なのは、体調管理とその時の適切な判断だということを知った。

 

こういった感じで、私たちは知らなかったことを調べに調べ、準備をしていくことで不安要素を解消し、
少しずつ自転車の旅が現実味を帯びていくのを感じていた。実際、不安に思っていたほとんどのことは、
自分たちの行動と知識によって避けられるものだった。

しかし、そういった準備や知識では完全に打ち消せない、消えては何度も膨れ上がるとても厄介なもの
が1つあった。

それは、「実体のない恐怖」だ。

 

No spiders in human zone please
実体のある恐怖その1ーサソリ

 

自転車旅を思いついてから1ヶ月半。

ある程度の決意が固まってきたこの頃、ようやく周りの友人や家族にこの旅に出ることを報告し始めた。
私とエリオットの間では、この旅に出ることがすでに「普通で自然なこと」になっていたのだが、報告
したときの周囲の反応を見て、思わず我に返されることになった。

ある人は表情が急にシリアスになり、「そんなの危な過ぎる、正気で言ってるのか?」と私たちを非難した。
またある人は、「武器は持っていくんでしょ?ガイドとか付けるの?」と強い警戒心を露わにした。

いくら周りの一方的な否定は気にしないとは言っても、人の恐怖心は自然と伝わってくる。それは実体が
なければないほど静かに増殖していき、私たちの心は悲しく不安な気持ちに染まった。

 

しかしありがたいことに、私たちの周りには前向きな生き生きとした反応をくれる人がたくさんいた。
まるで自分のことのように、「サイコーやん!めっちゃ楽しみやな!」「どこかで合流したいな!」と、
目をきらきら輝かせて言ってくれる人と話すたび、私たちの膨れ上がった不安な気持ちは一気に消え去り、
またわくわくするあったかい気持ちが充満するのだった。

 

こういった振り幅の大きい心の変化を、私たちは何度も行ったり来たりした。実際、旅立つその日まで、
私たちの心は揺れ続けるだろう。この実体のない恐怖から完全に解放されるためには、自分で動き出す
しか方法はないのだ。

 

一度動き出してしまえば、もうあとは日々その時その時に向き合っていくのみ。
だけどこの動き出す前のもどかしい葛藤も、何か新しいことを始める前の欠かせないステップなのだと
したら、もしかしたら今もうすでに旅は始まっているのかもしれないと思った。

 

[fb_button]

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *