宇宙、地球、それから自分

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自宅からひとりで自由に動ける行動範囲が半径数百メートルほどしかなかった
子供の頃、頭の中でよく想像した光景がある。

 

丸い地球の外側にある数え切れない星や惑星が、暗黒の吸い込まれるような
「宇宙」という巨大空間に散りばめられている光景、、、

 

このイメージをどこから知り得たのかは覚えていないが、幼いながらにしてその
「無限の宇宙」の神秘にとても心惹かれた。

 

どんな生き物や命が他に存在するのか?
終わりのない「無限」ってそもそもどういうこと?
ここで生活している「自分」って、、、、?

 

こんな考えてもキリのない宇宙の無限ループに惹き込まれた経験は、きっと誰にだってあるはずだ。

 

 

自分の意識を今いる場所から宇宙にまでビュンと飛ばしてそのイメージに浸ると、
暗闇の中にふわふわと浮いているような、夢のような現実のような、何ともいえない不思議な感覚に陥った。

そしてそんな「宇宙」をよりリアルに想像すればするほど自分の存在がちっぽけに思え、
それからというもの、私は嫌なことがあるとよく「宇宙」を思い浮かべていた。

 

すると、それまでぐちゃぐちゃだった悲しかったり怒っていた気持ちがすっーーっと和らぎ、
「無限の宇宙から見ればこんな悩みなんてたいしたことないや。」と子供ならではの豊かな想像力を利用して
自己解決していた小さい子供の私は、ある意味無敵だったんじゃないかと今になって思う。

 

 

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それから時は流れて十代になると、物思いに耽る暇もないくらい部活や恋愛に夢中になり、
十代後半にもなると受験や自分の将来(といっても大学先や自分のしたい職業のような近い将来)のことで
頭がいっぱいになっていった。

 

その後は立ち止まることなく「自分のしたいこと」と自分自身に思い込ませた仕事先にとんとん拍子で就職し、
まだ見ぬ広い世界を何も知らないまま社会人になった私は、休む間もなくあくせく働き始めた。

 

その頃にはもう、子供の頃「宇宙」について思い浸りながらうっとりしていたことなんかすっかり忘れ、
つらいことがあれば親しい友人に話を聞いてもらったり、自分の頑張りで何とか解決するようになっていた。

いや、解決したような気になっていただけで、実際は深く追求し「考えること」を無意識に避けていたのだ。

 

 

 

何不自由なく順風満帆に学生時代を過ごし、社会人になった過去の自分に何の不満もないし、後悔もない。
そんなプロセスがあてこその「今」なのはよくよく分かっている。

 

だけどもし、一つだけあの頃の私に何か伝えられるとしたら、こう言ってやりたい。

 

『現実はあなたが想像しているよりもずっとずっと多くの可能性があって、
まだあなたが知る由もないような生き方だって、たっーーくさんあるんだよ。』と。

 

たとえば1年以上テントで移動して生活する、とかね。

 

完全に忘れ去っていた子供の頃の「宇宙お悩み解決体験」について思い出したのは、結構最近になってからだ。

 

 

標高5000mの過酷な山岳地帯でたくましく生きる人々がいれば、
自給自足の質素な暮らしを日々淡々と続ける人々もいるし、
地位と権力と富を得ながらも満たされない人々もいる。

 

また土地の移り変わりと共に人の肌の色が黒から茶色となり、徐々に白くなっていき、
生命の密集した熱帯雨林がサバンナの草原となり、火星のような砂漠へと変化していく。

 

 

そのすべてがこのたった1つの地球に存在していることは、本やネットで読んだり映画やテレビで見たりして
よく知っているつもりになっていたけれど、自分の普段の生活とかけ離れた場所や人々の暮らしは過去の私にとって、
「非日常」的なものだった。

 

だけどそれが時間をかけてその移り変わりをゆっくり体感することで、これも日常の一部なのだと思えるように
なったとき、どんな場所や国に住む人も私と同じ「人」で、絶景といわれる大自然も、見どころも何もない街も、
ぜーんぶひっくるめて「世界」なんだと痛感した。

以前のブログでもこういったことを書いたように思うが、 どうしてもやっぱりここに行き着くのだ。

 

 

この感覚を言葉で伝えるのはとっても難しい。

私自身、6ヶ月間イギリスでぬくぬくと過ごしている間にもすでにこの感覚を少し忘れかけている。

 

今の私に子供の頃のようなピュアな好奇心や豊かな想像力はもう残念ながらないし、
今の科学ではまだ宇宙旅行には行けないけれど、この地球をじっくり体感+体験することはできる。

いやむしろ、それしかいつでも私を原点に戻してくれる方法はない。

 

 

 

だから私は、旅を続けるのだ、とそのとき気づいた。

 

 

なんでもない瞬間がいとしくなったり、なつかしくなったり。

 

 

「 So, how is back in normal life? (それで、普通の生活に戻ってきた感じはどう?)」

「 Are you going to settle in somewhere? (どこかひとところに落ち着くつもり?)」

 

イギリスに戻ってきてこの質問を受けるたび、

「普通の生活」ってなんだろう?
「落ち着く」ってなんだろう?

と自分に問いかけていた。

 

 

大半の人から見ると、大人になって定職にも就かず、テントを寝床としながら点々と何年も旅するなんて
非日常的な行動でしかないし、社会的にはよくない意味でふらふらしていると捉えられる。

だけど、ある時から私たちの移動生活は日常の延長となって、それが私たちの「普通」となり、
ひとところに落ち着いてはいないけど、心はいつも「落ち着いて」いたのだから、仕方がないとしか言いようがない。

 

 

こう書くとまるで一生旅を続けるように聞こえるかもしれないけど、私たちもこのトルコから日本への
自転車旅を終えて日本にたどり着いたときは、日本に腰を据えたいと思っている。

人並みにそのうち子供もほしいと思うし、ベースとなる自分たちの場所だっていつか欲しい。

 

けどだからといって、旅はやめないでいたい。

 

 

自分がたった1つの地球に住んでいるんだということを忘れないために、
そして子供の頃思い描いた、宇宙からみた自分のイメージをできるだけ記憶にとどめておくために。

 

宇宙があって、地球があって、それから自分がいるのだから、、、

 

 

 

てなわけで、また路上へ戻りますか。

これからもみなさまのエールをお待ちしております!

by Mayu & Elliot

 

 

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