地球の裏側はすぐそばに
ケープタウンの自宅を去年の4月に出発してから9ヶ月。自転車で走った距離7000km。ヒッチハイク・船・列車を含んだ移動距離およそ10,000km。
私とエリオットはついに、西アフリカの主要都市であるケニアのナイロビに到着した。
ケープタウンからナイロビまでの最短距離は約5200kmだというから、私たちはずいぶん遠回りしてきたようだ。あそこに行ってみたい、あの人へ会いにいこう、と自由奔放にルートを変更し、時には逆方角の南へ。またある時はジグザグ山道へ。
ナイロビからエジプトのカイロまでは、さらに5000km以上あるので、今の時点でまだアフリカの半分ちょいを通過したあたりかと思うと、アフリカ大陸の大きさをしみじみと痛感する。
残りのアフリカ大陸の国は、アフリカ最古の独立国エチオピア、人のあったかさと純粋さがピカイチだと評判のスーダン、国土のほとんどがサハラ砂漠のエジプト。南・東アフリカとはまったく違う景観、文化、冒険が私たちを待っているのは確かだった。だけど私たちは二人でよく話し合った結果、ここナイロビを、今回のアフリカ旅の終着点にすることに決めた。
その理由はいくつかある。
まず第一に、アフリカを北上する場合、エチオピアのビザが今までのように国境でとれないということ。(パスポートを自国に郵送して手続きをするか、エチオピアの首都へ飛行機で飛ばなければならない。)
次に、北ケニアを通過していた自転車旅人のほとんどが強盗に遭っていたこと。
そして最後に、エチオピア人のサイクリストに対する攻撃的なリアクションが半端ないという事実。(激しいGive me money!の声に加えて、石を投げつけられるのを覚悟しなければならないとのこと。)
エチオピアを通過してきた自転車旅人は、「エチオピアに比べれば、東アフリカはかわいいいもんだよ。」と皆んな口を揃えて言った。この半年間、どこへ行くにも何をするにも人々の注目と視線を浴び続け、すでにいっぱいいっぱいになっていたのに、それに加えて石を投げられるなんて、、、ハートブレイキングほどの話ではないにちがいない。。
自転車走行中、「Welcome to Africa!!」「Have a safe journey!!」などと笑顔で声を掛けられると、パッとあったかい気持ちに心が満たされ、パワーがどこからか漲ってくる。しかしそれとは逆に、「Give me money!」「Muzungu!(白人) Stop!!」などの荒っぽい罵声を受けると気持ちが沈み、怒りと悲しみがふつふつと沸く。そんな大きく揺れ動く気持ちのアップダウンとどう向き合っていくかが、常にポイントであったように思う東アフリカ。
たまに出くわす、あまりに執拗な人々の態度に、「もううちらのことはほっといて!!」と怒りが爆発しそうになったときはいつもこう思い直した。私たちは紛れもなくこの土地のマイノリティーだから、人々の注目を浴びるのは仕方ない。そしてその彼らの土地に進んで足を踏み入れているのは、他の誰でもない自分なのだと。
話によるとエチオピアの人は、単純に珍しい自転車を漕ぐ外国人を面白がって、石を投げることがよくあるらしい。その本当の心意は明らかではないけれど、少なくとも人に石を投げつけるという行為は、相手をあたたかく迎え入れる行為ではないと私は認識している。
それならば、エチオピアを訪れるのは今じゃない。いつか皆んな笑顔で手を振ってくれるような時がきたら、、、と願い、今回は北アフリカ旅を見送ることで納得がいった。
では、ナイロビからイギリスへ飛行機でひとっ飛びしちゃうか?いや、イギリスへできる限り自転車で向かいたいという想いはまだ変わっていない。
というわけで私たちは、エジプトとトルコの中間にある小さな島国、キプロスへ飛ぶことにした。キプロスで少しゆっくりしたあと、ここからまたイギリスへ向けて自転車旅を再スタートする予定だ。
ケープタウン在住期間を含め、約2年の時を過ごしたアフリカ。出会った沢山の人々の顔や記憶が、次々と頭の中をよぎる。
さらばアフリカ、また会う日まで!と清々しい気持ちで乗り込んだ1年半ぶりの飛行機は、真っ白の布を纏った男性と真っ黒の布を纏った女性でいっぱいで、すでに異国を感じさせた。経由国であるサウジアラビアまで、5時間の短いフライト。離陸と着陸の際には、乗客の男性たちがコーランを唱えるという慣れない雰囲気のなか、私も心の中で無事目的地へ着くことを手に汗を握りながら願っていた。
以前からかすかに感じていたけれど、今回のフライトで確信したことがある。飛行機に乗ることが怖くなっているのだ。少し機体が揺れただけで、心臓がばくばく鳴ってしまう。もし何かあったら、自分の力では何ともならない無力感。当たり前だけど、自転車ならいつでも、自分でほとんどの危険を回避できる。だけど今はそれができないと思うと、冷や汗が滲んだ。飛行機より自転車のほうが、身に何か起こ得る確率ははるかに高いと分かっていても、怖いものは怖い。
飛行機恐怖症?に若干なりかけている私はさておき、今後の人生、できるだけ飛行機に乗る回数を減らしたいと思う現実的な理由が他にもある。
先日ネットでたまたま読んだ海外の記事に、「飛行機に乗った経験のある(あるいは飛行機を日頃利用している)人は、世界人口の約5%」と記されてあった。その5%という数字のソースがどこから割り出されているのかは不確かだったが、世界的に見ると飛行機は一部の途上国の人のための移動手段といっていいだろう。
旅中出会った多くのアフリカ人が、「将来、アメリカへ行ってみたい。」「いつか英国へ行くんだ。」と私たちに夢を語った。1日1ドルの稼ぎの彼らが航空券を買うことは、とてつもなく困難なのは想像がつく。しかしお金を工面することよりも大変なのは、入国ビザを取得することだというのを誰も知らなかった。
彼らがアメリカや英国へ入国するには、たとえ短期間の観光でも、その国の知人からの招待状、十分な貯金があることを示す銀行口座、どこのホテルに滞在するか、、などなどの様々な書類を用意する必要がある。それに比べて日本国籍の私は、パスポートと航空券を持っているだけで、何の準備もなくイギリスに半年間滞在できてしまう。
確かに、アフリカや中東からの移民や違法滞在者の多いアメリカや英国が、発展途上国の人々の入国に敏感になるのは理解できなくもないが、それでも世界はアンフェアーな事柄でありふれていると思わずにはいられない。目をきらきらとさせながら将来のプランを話す彼らに、この厳しい現実をうまく説明することはできなかった。
世界の大多数の人が、一生に一度飛行機に乗るか乗らないかという現実の中で、自分を含む世界のわずかな人が気軽に飛行機を利用することができ、さらに言うと、人だけではなく、ありとあらゆる物資が、毎日世界を飛び回っている。
例えば、ザンビアの一部の地域では、コットンを盛んに生産しており、ふわふわの綿があふれるほど積み込まれた大型トラックを見かけることがよくあった。このコットンはアジアに輸出され、衣服となり、世界中の途上国で商品として売られる。そしておかしいのは、その一部の衣服は古着となってまたアフリカに戻ってくるということだ。
その中にはスタッフTシャツのような、明らかにどこかのチャリティーショップに寄付された衣服もあるのだが、その多くの衣服は無料で支給されるのではなく、村のマーケットで売り買いされているというのが私たちが見た事実だった。着なくなった服をチャリティーショップに預けたら、世界のどこかのそれを必要としている誰かの手に無償で渡るんだと、軽々と信じていた私。
だけど、その多くは、仲介業者を経て、人から人へとお金で取引されている。
こういった輸出入のサイクルは、コーヒー産業でも見られる。東アフリカ各地で育ったコーヒー豆は、海を渡ってから製品化され、アフリカに戻ってくるときにはNescafeとなり、地元の人が買えないような価格で売られている。
まるでジョークのようだが、本当の話だ。
大切なのは、ルーツも分からないチャリティーショップに善意を託すのではなく、自分の目の前にいる困っている人に目を向けること。さらにはたいして必要ではない衣服を買わないよう心がけることが大事なんじゃないかと改めて感じた。
1日に5万から8万機の飛行機が空を飛んでいると言われる今日。
こんなちっぽけな私が、なるべく飛行機に乗らないでおこうと心に決めたところで、何一つ変わらないのかもしれない。だけど、日頃何を見るか、何を聞くか、何に思いを寄せるかといったすべての小さな選択が、世界のどこかとつながっているのだと信じている。そしてやっぱり、今の私たちには時間をかけてゆっくり進むのが合っているようだ。
2016 / 1 / 24