自転車で旅にでる理由
「なんだか、いろいろ見逃してる気がしない?」飛行機でロンドンから南アフリカへ移動中、隣で窓の外を眺めていたエリオットがふと言った。トランジットを含めて約20時間の長距離フライト。自由に動き回れないもどかしい時間と体力の消耗具合から、これまた遠い所に来たな〜と体感していた。
降り立ったのは、未知なる大地アフリカ。私がこれから移り住む場所は、アフリカの中でも特に欧米化が進んでいるケープタウンだ。
とはいえど、ここだって壮大なアフリカの一部分。そう自分に言い聞かせ、「ついにアフリカ大陸上陸だ!」と自分の中のテンションを上げようとしたのだが、どうもしっくりと来ず、妙に落ち着いたまま周囲を客観的に見ている自分がいた。
「アフリカ」と聞いて率直にイメージするワイルドな動物や原住民族が、今では限られた場所にしかいないことはもちろん知っていたし、ケープタウンが白人の街として栄えていることも聞いていたけれど、私は今いるのはアフリカなんだ!と本当に実感が沸くまで、住み始めてから数ヶ月の時間かかった。自分の住んでいる場所が地球のどの辺なのかよく分からない状態が何ヶ月も続くのは、なんとも不思議な感覚で、なんでこんなに実感が沸かないんだろうと考えていたとき、飛行機の中でのエリオットの何気ない言葉がよみがえってきた。
「なんだか、いろいろ見逃している気がする」
私とエリオットは過去の旅の中で、目的の場所へ辿り着いたときの達成感や感動は、そこへ辿り着くまでのさまざまな過程があってからこそ強い実感として得られるものなんだと、身に染みて感じていた。時には迷い、遠回りしながらも、自分の足で動いたときに感じられる感覚は、冷房の効いた車でワープするように移動することでは決して体感できるものではなかった。
雲の上を飛行機でひとっ飛びしている間、地上ではどんな光景が広がっているのだろう?そこで人々はどんな暮らしをしていて、何を考えているのだろう?ロンドンからケープタウンまでの10,000kmの間に、いったいどんな移り変わりがあるのだろう?
私たちが見て感じたいことは、その過程の中にある。点から点へとジャンプしながら旅をするより、線を繋ぐように変化を感じながら旅がしたい。そういった気持ちから、陸路でアフリカを旅することは私たちの間で自然と決まった。
最初は愛車の四駆フィアットパンダで移動しようと考えていたのだが、車で国境を越えるのが何か保険や賄賂などがややこしいという情報と、自分たちの旅のためにガソリンを大量に消費しながら移動することに少し疑問を感じたので断念。バスやタクシーを使っての移動は、公共交通機関がまだまだ発達していないアフリカではローカルな場所へ行きずらく、かつ予算外、とはじめから論外。それなら自らの足、徒歩?と思ったが、持てる食料や水の量も限られてくるし、さすがにちょっと気が遠くなったのであきらめた。
そして、それならば・・・!と、消去法の末行き着いた移動手段が、自転車だった。( ほんとは馬で移動するっていうのも、一瞬本気で考えた。)
仕事から帰宅したエリオットに第一声、「自転車で旅にでるって、どう思う?」と、半分冗談半分本気で聞くと、「うん。それいいアイデア!」と100%ポジティブな返事が返ってきた。この時の何ともいえない胸のドキドキとワクワクは今でも覚えている。
それから数週間後、現実的な旅情報を色々調べた上で、本当に自転車で旅へ出よう、と二人で腹をくくったのだが、実際はこの短いやり取りをした瞬間に、この旅へでることが二人の心の中で決まっていたように思う。今まで想像もしたことがなかったことを思いついたときに感じる、未知なる世界が自分の中でぱぁっと広がる感覚に、私たちはどうも逆らえない。
2015 1 / 21