"違う"からこそ知れること

 

私にとってヨーロッパは、特に強い思い入れのある場所だ。10年前、人生で初めて訪れた海外は真冬のデンマークで、まるでおとぎ話の国に飛び込んだような世界に、終始舞い上がっていたのを今でもよく覚えている。その高揚感を心のどこかで忘れられないでいた私は数年後、意を決してヨーロッパの中心ロンドンへと単身で渡った。

3年間のロンドン滞在中には、今のパートナーであるエリオットとの出会いや、多国籍シェアハウスでの暮らし、また他のヨーロッパの国々にも足を伸ばしたりと、様々な思い出がぎゅっと凝縮されている。

当時の私には、街並みも生活スタイルもファッションも、とにかくヨーロッパのすべてが刺激的で、かつそれぞれが自分らしく生きられるという、まさに憧れの土地だった。

夢のような街、インスブルク

日本を出るまで知る由もなかった文化や価値観に触れ、視野がぐんと広がったことや、さらに世界への関心が強くなったのは、紛れもなくこのヨーロッパでの経験と生活がきっかけだろう。( ロンドンでのシティーガール生活から一転して、アフリカから自転車を漕ぐことになるなんて、当時は思いもしなかったのだが。笑)

そんな馴染み深いヨーロッパへと、約2年間のアフリカ生活+旅を経て、自転車で戻ってきた私とエリオット。

繊細で迫力ある歴史的建造物の美しい街並みや、個人の表現活動に寛容な風潮は、今も変わらず健在だったのだが、自転車でゆっくりと土地の移り変わりを体感しながら辿り着いた今回のヨーロッパは、私たちの目に今までとは大きく違って映った。

バルカン半島では、街と街の間の特に何にも利用されていない土地の多くが空き地や森林だったのが、EU圏内へ入った途端、見事に管理された大規模農園へと変化した。またそれまで民家の庭の敷地で家庭用の野菜や家畜を育てている光景をよく目にしたのが、ヨーロッパの民家では食べ物よりも色鮮やかな花を育て、以前は家畜を飼っていたのであろう古い建物を今は倉庫として利用している家庭が多くなった。

さらには食品や日用品を売る個人経営の小さな商店を見つけることがとても難しくなり、その代わりに大型チェーンスーパーマーケットが数十キロ間隔で現れるようになった。以前は気にも留めなかったような"当たり前"の情景が、言い出せばキリがないほど "変化" として目についたのだ。

そしてさらに異様な気持ちになったのが、オーストリアのある地方を走っていたときだった。

そこはスロベニアとイタリアの国境沿いの地域で、小さな街が点在するものの、どこも妙に静まり返っていた。街の中には生活感のある大きな家がちらほらとあるので、人が住んでいるのは確かだったが、とにかく誰も外にいない。たまに車が横切っていくものの、路上で人とすれ違うことはなく、その日は1日をとても静かに終えた。

「これほど人がいないのは、ナミビアの砂漠以来だね。」と、エリオットに言われ、近代化したヨーロッパの土地と、あの火星のようなナミビアの土地が比較されたことが可笑しく感じた。

ナミビアの火星のような道

シンと静まり返るオーストリアの田舎道を何時間も漕ぎ続けている間、私はそれまでに旅してきたアフリカの光景を思い出していた。

東アフリカでは、自転車走行中、路上に人がいない瞬間などほとんどなく、たとえさすがにここには誰もいないだろうと思った場所でも、数分もすればどこからともなく人が集まってくる。また彼らの基本交通手段は自転車か徒歩なので、車のように一瞬ですれ違うことはなく、誰もが私たちを飽きるまで直視するか、声を掛けてきた。

ウガンダの山奥では、草むらに隠れて立ちションしようとするエリオットの周りに人だかりができ、ジェスチャーでそれを伝えても誰も立ち去ろうとしなかったことさえも。笑プライバシーなんてまったく存在しない毎日に、どうしても疲れを感じると共に、彼らの文化や考えを知れば知るほど「なんで?」と頭を悩ますことばかりで、初めの数ヶ月は精神的に参ってしまうことがよくあった。

また、ありとあらゆる深刻な問題に直面している彼らのために、私たちは何ができるのか、と旅の始めは試行錯誤し、できる限りのことをしようと試みたが、現実はそう単純なものではなく、思いや知識を伝えることでさえ難しかった。

しかしそんな今まで経験したことのない葛藤を繰り返しながらも、アフリカでの旅を1ヶ月、数ヶ月、半年、、、
と続けていると、不思議と自然にそのストレスや自問自答は薄れていき、何だか分からないけど少しずつ "何か"を分かりかけているような感覚を感じていた。

この時私の周りにも同じくらいの人だかりが出来てました

アフリカの民家には、ヨーロッパの一般家庭にあるようなバックカーデン(裏庭)などないので、大人がゆっくり寛ぐのも、子供たちが走り回って遊ぶのも、家の前、すなわち路上だ。生活用水は家のキッチンの蛇口をひねれば出るのではなく、近所の人や家族と雑談をしながら共同の井戸まで頭にバケツを乗せて汲みにいく。必要なものがすべて揃うスーパーは存在しないので、毎回人と顔を合わせて値段交渉をしながら市場や商店を回る、、、

オープンスペースで人と関わりながら営まれるこういった日常生活を、今の私たちは「不便」だと思うのかもしれない。だけどそれはアフリカの人にとっても同じで、「 今日から川で体を洗うのをやめて、室内シャワーを使ってください」と言ったら、彼らも私たちと同じように戸惑いを感じるのだろう。

誰だって、普段の慣れた暮らしをたった一部でも変えると、そこに違和感を感じるもの。時間の経過とともに新しい暮らし方に慣れ、その不便に思う気持ちを乗り越えたときにこそ、自分のそれまでの暮らしのフィードバックが出来るのだと思う。(便利から不便への移行は、不便から便利への移行よりも難しいと想像するが、一概にそうとも言えない。)

ヨーロッパの暮らしとアフリカの暮らし。

今振り返ってみると、論理的とは到底思えなかったアフリカの人々の暮らしの中には、プライバシーを守る便利なヨーロッパにはない、"自由と人間らしさ" があった。

日々の日課

ヨーロッパで唯一行きたかったアルプス山脈の峠を越えたあと、特別訪れたい場所もなかった私たちは、友人や知り合いがいる街を繋ぐようにヨーロッパ内のルートを決めていった。そんな中、ベルギーのブルージュで、過去に何度もアフリカを自転車で旅しているという夫婦のお家に泊めてもらう機会があった。

彼らは共にブルージュ郊外で生まれ育ち、毎年数ヶ月は自転車で海外へ出掛け、毎10年には1年間の大型休暇を取って長期の自転車旅をするという、独自の旅スタイルを過去20年以上続けていた。そして夫婦で55歳になった今も、自転車で世界を旅し続けているというから驚きだ。

自転車での旅というと、「若いうちはそういう旅もいいよね。」と言われることがよくあるのだが、そんな言葉はこの夫婦に通用しない。聞くと去年はちょうど10年に1度の長期旅の年だったようで、標高4500mを越える中央アジアの山脈からモンゴル、ウルグイ自治区を、時には未舗装道路をあえて選びながらテント泊で旅してきたというから、「年をとったら、ある程度の贅沢が必要なんだよ。」という言葉も彼らには通用しなかった。

これだけ聞くと、ハードコアなタフ夫婦を想像するかもしれないが、実際はとても穏やかで気さくな、だけど子供のような好奇心を持ち合わせているすごく素敵な夫婦だった。

そんな夫婦の旦那さんの方、ポールは、近所の森林公園で植物の管理と敷地内で育てている牛や養蜂の世話している。その公園を案内してもらいながら一緒に散歩をしていた時、ポールは私たちにとても興味深い話を聞かせてくれた。彼の友人に、蜂のハチミツを作る過程と行動について研究している人がいて、世界各地の蜂について調べたとき、面白いことが分かったという。

ヨーロッパの蜂は、仲間内できっちりと組織化して、蜜を作ることができない冬に向け、せっせと暖かい季節の間に重労働をこなしていたそうだ。それに比べて年間を通して暖かい気候のアフリカの蜂は、組織化など一切せず、それぞれが思い思いに働き、のんびりと気楽に蜜を作っていたらしい。

ポールとグリット、大変お世話になりました

この話を聞いたとき、私の中で引っかかっていた"何か"がしっくりときた。

これまでアフリカの人々の行動や考えについて、どうしても理解できないことが山ほどあったけれど、それは理解できなくて当たり前だったんじゃないのか。またシステム化された便利な生活が理想か、社会基盤は整っていないけどのんびりとした生活が理想か、と双方を比較するのではなく、それぞれが「違う」ということで納得してもいいんじゃないのか。

そう考えたとき、何の実態も知らないのに「アフリカの人のために何かしたい」と漠然と考えていた過去の自分が、何だか恥ずかしく思えた。実際は、彼らから教えられることや気付かされることが、山ほどあったからだ。

彼らの暮らしや生き方をしっかりと受け止め、心から尊重することがまず何より大切だったのだと、アフリカからヨーロッパへ帰ってきた今、つくづくと思う。

 

2016 / 9 / 1