12,000kmを走り終えて

 

このアフリカ/ヨーロッパ大陸の旅を無事に終えたら、声を大にしてずっと言いたかったことがある。それを今やっと、私とエリオットの心のメッセージとして、伝えられる時がきた。

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自転車で旅をしていると言うと、多くの人たちが安全面は大丈夫なのか、危険な目に遭わなかったか、という治安に関する疑問を、私たちに投げかけてくることがよくある。

例えば出発地の南アフリカでは、アパルトヘイトの根深い歴史もあって、「ブラックアフリカを自転車で縦断するなんて、気は確かか?」とか「Are you guys crazy?」と、友人や知り合いから何度も本気で言われ、時には蔑むような顔をされることさえあった。

私はその度に、「これから私達がやろうとしてることは無謀なことなのか、、?」と自分に問い質してていたのだが、いざ彼らの指す "ブラックアフリカ" である、北部ナミビアやザンビアに着くと、当の彼らは、「南アフリカって差別と犯罪がすごいんでしょ? 行くのが怖いよ。」と、意外にも南アフリカ人に対して恐怖心を抱いていた。

また、バルカン半島のマケドニアに着いたときには、「トルコはかなり危険だから、今絶対行くべきじゃない。」とマケドニア人の友人から忠告され、「2週間前に、もうすでにトルコを2ヶ月間走ってきたけど、平和そのものだったよ。」と私が返答すると、彼は拍子抜けしたように目を丸くしていた。

だが驚くことに、過去の旅の中でも飛び抜けたホスピタリティー精神を備えるトルコ人でさえも、自分の街は平和だけれど、この辺り以外は安全じゃないから国内旅行はしたくない、と私たちに話す人もいた。

その後もこの、 "自分の住む国や街は大丈夫だけど、外の世界は危ない"という謎の世界共通意識は止まることなく、中央ヨーロッパの人はバルカンの国々を怖がる傾向にあったり、ヨーロッパの人はアフリカ大陸全体の治安を案じていたりと、どこに住む人も何かしらの不安と恐怖心を抱いていた。

実際の危険は路上を行き交う身近な車だったりする

だが思い返してみると、私とエリオットも決してその例外ではなく、その恐怖心を完全に克服するまでにはかなりの時間がかかったのも事実だ。

この街は平和で皆いい人だけど、次の街はどうだろう? もしかしたら親切じゃないかもしれない。じゃあ、次の国はどうだろう?もしかしたら皆冷たいかもしれない。じゃあ、次の大陸は、、、、その次は、、、

そう思いながら次の土地へ着くと、そこは前の土地と同じく平和。そしてその次の土地も、そのまた次も、やっぱり平和だった。

この村に犯罪なんて存在するのかな?と思うほど、世界の大部分を占める都市と都市の間の小さな村々には、どこの国もゆったりとした穏やかな空気が流れていた。そうした気持ちの揺れ動きを何度も繰り返してやっと、" 知らない土地の人間 " に対する不必要な恐怖心と不信感は、自然と消えていった。

アフリカを自転車で旅する上で、本当に気をつけなければならないのは、何を考えているのか計り知れない野生動物や、砂漠のど真ん中で水がなくなること、また僻地でマラリアなどの感染症にかかること、そしてどこでも起こり得る交通事故なのだと身を以って知ると同時に、初めて気付いたことがある。

対話や意思疎通が可能な、私たちと同じ「人間」に対して、これほどもの恐怖心を世界中の人々がお互いに抱いているのは、なんて悲しいことなんだろうと。

( 地域によっては強盗が多発する場所や、未だ紛争が絶えない地域もありますが、それはほんのごく一部の地域で、自らの選択で避けて通ることができます。)

ただただこちらを幸せにしてくれる笑顔

世界には、残酷で傲慢で自己の欲に駆られて何でもする腐った人間が実際に存在する!と、ある人は言うかもしれない。それはもちろんその通りなのだが、ではいったいどれほどのパーセンテージの人が、そういった人間なのだろう?

私たちはこの旅中に、何百何千もの人々と挨拶を交わし、関わりを持った。そして、そのおよそ98パーセントが、実際 "いい人" だったと言える。そう感じることができたのは、観光地や大都市を基本的に避けて通ったこと、またバスやタクシーでのお決まりの値段交渉や、外国人の集まる宿と無縁だったのが大きい。

商業を営んでいるにも関わらず、私たちに食べ物や飲み物を差し出し、お金を受け取ろうとしない人々。質素で重労働の自給自足生活をしているにも関わらず、持っているものすべてをシェアしようとする人々。英語を一言も話さないにも関わらず、見ず知らずの私たちを迷わず家に招き入れてくれる人々。

ビジネスよりもまず先に、人との出会いとゆるやかな時間を最優先している、人間味のある人がほとんどだった。

そんな温かい人々と日々出会う中で、ごく稀にテレビやネットのニュースを目にすると、そのギャップにいつも戸惑いを感じて仕方なかった。目の前の朗らかな現実と、世界の終わりのような悲劇のメディア報道。メディアから流れる情報は、確かに世界のどこかで実際に起こっている。だけどそれは、世界のほんっの一部の限られた現実に過ぎない。

悲劇の最中として想像するシリアやイラク出身の人と会うこともあったが、もちろん彼らも他の人々と同じ、"いい人" で、「北部は今近寄れないけど、南部は平和でみんな親切だよ。」と話していたりした。現実はいつだって自分が想像するよりも複雑で、様々な問題が絡み合っている。そしてまた、どこにだって私達と同じ人々の生活があり、思いがあり、日常があるのだ。

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで泊めてくれた男性は、私たちにこう言っていた。「俺の家にテレビはないんだよ。だって俺のテレビ(メディア)は、目の前にいる君たちだからね!」彼がそう言ったとき、私とエリオットもちょうど同じようなことを話していたのを思い出した。画面のなかの現実よりも、自宅の窓の外や自分の目に映るリアルな現実を、一番優先にしてもいいんじゃないだろうか、と。

早朝の風景

今なら、人から世界の治安について聞かれたとき、「私たちが訪れた場所は、ここと同じように平和で、愛に溢れてるよ。」と身を以て伝えることができる。それが、私たちが見て感じてきた、私たちの住むこの世界だった。

綺麗ごとではなく、心からそう思えたことが、12,000kmの道のりを汗水垂らして自転車で旅した勲章だといえるだろう。

この想いを決して忘れないように、今後も世界の日常を旅しつづけたい。

 

2016 / 8 / 22