心が震える瞬間って、どんな瞬間だろう?
世界中から沢山の人が集まるウズベキスタンはサマルカンドの名所、レジスタン広場の壮観なモスクを眺めながら考えていた。
建物全体に施された繊細なパターンと鮮やかなターコイズブルーは紛れもなく美しく、ただ見つめているだけで飽きが来ない。ウズベキスタンは、今回の旅のなかで唯一「観光」を楽しみにしていた国だった。
今まで見たことがないような美しい歴史的建造物を目の前に確かに感動はしているものの、私とエリオットはいたって冷静で、どこか何とも言えない空虚感を隠せずにいた。
長い旅のせいで感覚が麻痺してるんじゃないかとか、欲張りだと言われればそこまでだが、どうしても胸を強く突き動かされるような感動には残念ながら達しない。
今の私たちにとっての「心が震える瞬間」というのは、その前後のストーリーや背景とあらゆる感情が混じり合ってやっと、やってくるものだと思っている。
そのことを改めて私たちに気付かせてくれたのが、ウズベキスタンの前に訪れたカザフスタンの砂漠での数日間だった。
カスピ海に面したカザフスタンの街アクタウからウズベキスタン国境までの約500kmの一本道は、ステップと砂漠の中間あたりの乾いた大地が延々と続く。
この区間、街と呼べる街は2つ、小さな集落が3つ、水と食料を補給できるチャイハナと呼ばれる休憩所的食堂が40~50kmごとにある。(実際その半分は閉まっていた。)
これを日本の地理に置き換えると、大阪から京都間は村もお店もなーんにもなく、大阪から東京間までは小さな街が2つ、お店がたった10数軒しかないことになる。(!!!) 繰り返すが、そのお店の半分が閉まっている可能性が高い(笑)
こう考えてみてもらうと、カザフスタンという巨大な国のスケールを少し身近に感じてもらえるだろう。
数日分の食料と水を補給して自転車を漕ぐのは2年前行ったナミビアの砂漠以来で、ただまっすぐに伸びる道と果てしなく広がる大地に、ひさびさの高揚感を感じた。
この長い500km区間にはこれといった見どころもないため、ほとんどの自転車旅人は4~5日ほどで一気に通過する。
あえての楽しみといったら至るところに出没するラクダくらいかな、、、と思っていたのだが、この一見何もない土地に、思わぬ旅のハイライトが私とエリオットを待っていた。
出発地のアクタウで泊めてもらった地元の女性によると、広大なカザフスタンにはまだ一般的にほとんど知られていない素晴らしい大自然がごろごろあるという。
だがその場所はかなり曖昧で、ネットで調べても情報はほぼ皆無。グーグルイメージでさえ数えるほどしか写真が上がってこない。そして写真で見る限り、本当にこんな美しい場所が手付かずのまま残されているのかと疑うほど美しい。
もし存在するのなら、ぜひこの目で見てみたい!と冒険心を開花させたエリオットは、半日かけてその場所をネットで特定しようとしたが、結局確かな情報は見つけられかった。
情報がなければないほど冒険心は強まるもので、私たちはその魅惑の「秘境」を完全にあきらめられずにいた。
そうこうしているうちに気づけば夕暮れ時となり、気晴らしに海岸沿いを散歩していると、散歩道に西カザフスタンの自然の写真を展示しているのを発見した。そうそう、ここに行きたいねん、、、と写真を眺めていたら、写真に右下に小さな文字でGPSコーディネートの数字が書かれているではないか!これだ!!
家に帰って早速そのGPSの場所を地図で確認すると、行きたいと思った2箇所の場所ともに、私たちが通過する主要道路から約15km逸れたところにあることが分かった。ということは、合計30kmの回り道。
それくらいなら行ける!
この瞬間、平坦なエンドレスの道だと思っていた500kmが、急にアドベンチャーな旅になる予感を感じた。
1つめの秘境は、アクタウから70km北へ行き、そこから小道を進んだ先にある、その名も”Vally of balls (ボールの谷)”。
地図を再確認して主要道路から逸れると、通りすがるクルマのすべてがクルマを止め、「どこ行くつもり?道間違ってるよ!」と私たちに訴えかけた。
「ボール、ボール」とジェスチャーで伝えようとするが誰もよく知らないようだ。その地元の人の反応に少し不安になりながらも、アスファルトの道から細いあぜ道へ逸れてひたすら漕ぐ。
本当にあるのか、ボールの谷。
半信半疑になりながら10kmほど進むと、ボールらしき丸い岩がちらほら現れだした。
もしやこれがそう?と思いながらさらに進み、ゆるやかな丘を越えると一気に視界が開けた。
そしてその先には、予想を上回る光景が、、、、
それまで見渡す限り平坦だった景色ががらっと変わり、私の背丈ほどある大きなボールで敷き詰められた谷が出現した。
誰もいない、何のサインもないこの場所に、こんな場所があるなんて。
大昔火山が噴火したとか、ここは海底だったとかいういくつかの仮説はあるようだが、未だにボールがどうやって出来たのか不明らしい。現地の人さえめったに知らない、ミステリアスそのもののボールの谷。
私たちはサイクリングの疲れも忘れ、この不思議な場所をじっくりと堪能した。
冒険はこれで終わっていない。
2つめの秘境は、ボールの谷から170km先にある、高原を見下ろすように広がるTuzbairと呼ばれる塩の湖だ。
砂漠地帯にあるにもかかわらずこの浅い湖は完全に乾き切ることなく、また湖の周りの砂は流砂のため誰も近寄ることができないという。
人間の近寄れない自然の神秘、、、そのフレーズにとてもそそられた。
だがこの湖への道筋は、ボールの谷のように一筋縄にはいかなかった。
湖へと続く小道を地図上で確認できなかったため、方角のみを頼りに15kmほど進まなければいけない。
自転車を100km漕いだあとの凸凹道はなかなか体に堪え、道が不確かな分、たった15kmが妙に長く感じる。小道は広くなったり狭くなったりしながらいくつも枝分かれし、迷わないよう曲がり角を写真に収めながら、南へ南ヘと進んでいく。
たいした距離じゃないからそう簡単に迷わないと分かっていても、あまりの人気のなさに不安感が募る。
夕暮れも近づき、急ぎ足で1時間半近く小道を走ると、ついに高原の終わりに辿り着いた。
だがその景色は写真で見たものとは大きく違い、綺麗は綺麗だが声を上げるほどの景色ではなかった。
ここじゃない、、、
この時点で疲れがどっと押し寄せ、今回は私たちの思い描く場所に辿り着けないかもしれないとかなり弱気になった私をエリオットは、
「あと5kmこの先をいって、それでも見つけられなかったらあきらめよう。」と励ました。
そしてラスト数百メートル。
道の状態がさらに悪くなったため、自転車を置いて残りを歩くことにした。
すると徐々に道に起伏がでてきた。風も一気に強くなり、高原の終わりが近づく気配。
高原のため最後の最後まで景色が見えない。
そしてゆっくりとその先へ進むと、眼下に信じられないような光景が広がった。
言葉を失う光景、とはまさにこのことだった。
空の青色と夕日の赤色を反射して常に変化する湖面。
まるで氷河のような完璧なフォームを織りなす山。
そこには目の前の光景以外、私たちの気を引くものが何もなかった。
ライトアップもされてなければホテルもないし、アイスクリームも売っていない。
ガイドもいないし、警備員もいない。
まさに、自然 対 自分。
私たちは常に、この「瞬間」を探し求めてるんだと感じた。
だが心が震える瞬間というのは、稀なアドベンチャー体験のなかだけにあるわけじゃない。
人と深い時間を過ごした「瞬間」。
特別な映画や絵画を観た「瞬間」。
何を成し遂げた「瞬間」。
その瞬間に辿り着くまでの経緯も大事だけど、もっとも大事なのは、自分の「その時」の感情と感覚だけにじっくり向き合う心の準備と十分な時間を持つことだと、私は思っている。
そしてこの長くてスローな自転車の旅は、私にそのことを教え続けてくれている。
一回でも多く、心を突き動かす「瞬間」に出会うために。